ヘルスケア部門の脱炭素化
~世界ではNet-Zero実現へ向けた動きが~
(文責:坂野 佑馬)
近年、世界各国でパリ協定を基に脱炭素に向けた様々な取組が検討されている中で、ヘルスケア部門でも脱炭素化の推進が要求されるようになっている。米国の疾病対策予防センター(CDC:Centers for Disease Control and Prevention)※1は気候変動が人々の健康へ与える影響を整理しており(図1)、これらの影響が今後甚大化していくことに警鐘を鳴らしている。
図1. 気候変動が人間の健康状態へ与える影響(米国CDCの原図を改変したもの)
出典:岩波書店「科学(2022年1月号)」より引用。
2021年11月に開催された第26回気候変動枠組条約締約国会議(COP26)において英国、世界保健機関(WHO)、Health Care Without Harms(HCWH)※2、ハイレベル気候チャンピオン(High-Level Climate Champions)らが主導し、「COP26 Health Programme」が始動した。同プログラムにおける「気候変動にレジリエントかつ低炭素で持続可能な保健システムの実現」という野心を達成すべく、「Alliance for Transformative Action on Climate and Health(ATACH)」※3が発足された。
ATACHは現在61ヵ国が加盟しており、「気候変動にレジリエントな保健システムの実現」と「低炭素で持続可能な保健システムの実現」という主に2つの公約を掲げている。前者に関しては加盟国全てが賛同を示しており、各国は2013年にWHOが発表した報告書「Protecting health from climate change: vulnerability and adaptation assessment」※4に基づいて自国の保健システムの在り方に関連する政策やプログラムの評価を実施し、国別対応計画(NAP: National Adaptation Plan)に反映させる等の取組を推進するとしている。後者に関しては56ヵ国が賛同を示しており、賛同する国々は自国の保健システムの温室効果ガス(GHG)排出量に関してベースラインの算定を行い、低炭素で持続可能な状態に改善するためのロードマップの作成を約束している。更に、56ヵ国中22ヵ国が保健システムのNet-Zero(サプライチェーンもすべて含めたGHG排出量が正味でゼロの状態)の達成目標期日を設定しており、中でもザンビア、マラウイ、リベリア、インドネシアは挑戦的に2030年をゴールとしている。
さて、持続可能なヘルスケアを創造するための病院や専門家等による国際的ネットワークであるHCWHと英国に本社を置く総合エンジニアリング会社であるARUP社が共同で2019 年に発表した報告書「HEALTH CARE’S CLIMATE FOOTPRINT」※5によると、ヘルスケア部門におけるGHG排出量は2014年度のデータで世界全体の総排出量の約4.4%に相当すると算出されており、日本国内では約6.4%がヘルスケア部門由来の排出量で、世界と比較して割合が大きいと言える。ちなみに、ヘルスケア部門からのGHG総排出量は、排出量の多い10ヵ国(EUを含む)で約75%を占めており、日本からの排出量は世界全体の約5%である(図2)。
図2. ヘルスケア部門におけるGHG排出量の国別割合
出典:HCWH・ARUP社の「HEALTH CARE’S CLIMATE FOOTPRINT」に記載の図を基にBCJ作成。
HCWHはヘルスケア部門の脱炭素ロードマップを世界へ浸透させるための取組や情報提供も行っている。2021年にはヘルスケア部門の国際的な脱炭素ロードマップ「Health Care Without Harm (HCWH)'s Global Road Map for Health Care Decarbonization」※6を発表した。
同ロードマップでは、ヘルスケア部門の脱炭素化を推進するためには相互に関連する3つの「PATHWAY(図3)」が重要であると示されており、「PATHWAY」を補足する7つの「HIGH-IMPACT ACTIONS(図4)」を実施することで脱炭素化に繋がると記載している。
図3. ヘルスケア部門脱炭素ロードマップにおける「PATHWAY」の概要
出典:HCWH・ARUP社の「Health Care Without Harm (HCWH)'s Global Road Map for Health Care Decarbonization」を基にBCJ作成。
図4. ヘルスケア部門脱炭素ロードマップにおける「HIGH-IMPACT ACTIONS」の概要
出典: HCWH・ARUP社の「Health Care Without Harm (HCWH)'s Global Road Map for Health Care Decarbonization」を基にBCJ作成。
また、HCWHは脱炭素ロードマップを公表すると同時に、各国が自国のヘルスケア部門の脱炭素ロードマップを確立するためのガイドライン「DESIGNING A NET ZERO ROADMAP FOR HEALTHCARE」※7を2022年8月から公表している。現在、同ガイドラインを活用しイタリア・ラツィオ州、オランダ、ポルトガルの3ヵ国にて独自のロードマップが検討されており、近日中に発表される予定となっている。
国家単位でのヘルスケア部門脱炭素化の取組に目を向けると、英国の国営医療制度「National Health Service(NHS)」では、Net-Zero達成目標を2045年に設定し、2036~2039年ごろを目安に1990年比でGHG排出量を80%削減することを目指すとしている。NHSは過去10年以上、持続可能なヘルスケアの実現に向けて試行錯誤を繰り返してきたが、今後も追加投資や支援を継続していく方針である。NHSも脱炭素ロードマップを公表しているが、HCWHのものと比較すると、進捗を交えて記載してあることもあり、より具体的かつ詳細に記述されている。NHSが計画しているNet-Zero実現へ向けた施策を以下に示す(図5)。
図5. NHSのNet-Zero実現へ向けた取組の概要
出典:NHSの「Delivering a ‘Net Zero’ National Health Service」を基にBCJ作成。
Net-Zeroを目指す施策の一環として、NHSでは2022年6月に世界初のNet-Zero を実現した外科手術が実施された。NHSはバーミンガム大学の専門家らと共同で、手術に係るCO₂排出量を約80%削減し、残りの排出量を手術が実施されたソリハル病院敷地内の植樹活動等でオフセットしたことで、Net-Zeroを実現させた。CO₂排出量削減の施策として、「再生利用可能な手術着の着用」、「麻酔ガスの不使用」、「使い捨て器具のリサイクル」、「空調・照明の最適利用」等を実施したとされている。
日本においては日本医師会によって設立された「病院における地球温暖化対策推進協議会」が、国内ヘルスケア部門の気候変動対策および脱炭素化に係る様々な調査や病院への情報提供等の支援を実施している。同協議会は例年、民間病院(開設者が国・都道府県・市町村以外の民間病院)を対象にCO₂排出量及びその原因となるエネルギー消費量と削減活動を中心に調査を実施している(図6)。下図から、日本の民間病院においては、省エネルギーの取組は実施されていることが分かる。しかしながら、HCWHやNHSのようなサプライチェーン全体を意識した取組にまでは至っていないように推察される。
また、内閣府健康・医療戦略推進事務局によって設置されている「グローバルヘルス戦略推進協議会」 において、2021年7月よりユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(全ての人が、適切な健康増進、予防、治療、機能回復に関するサービスを、支払い可能な費用で受けられること)の実現へ向けた議論・検討が進められている。その中でも、ヘルスケア部門の脱炭素に関する検討は、「健康と気候変動と関連性の把握」のみに留まっている状態である。今後、国際社会においてはヘルスケア部門における脱炭素化がますます進んでいくことが推測される中で、日本としても脱炭素化を念頭においた具体的な目標と対策を講じていくべきように思う。
図6. 民間病院が行っている省エネルギー活動・地球温暖化対策状況(2021年度)
出典:病院における地球温暖化対策推進協議会の「2021 年病院における低炭素社会実行計画 フォローアップ実態調査 報告書」※8から引用。
引用
※1:https://www.cdc.gov/climateandhealth/effects/default.htm
※4:https://www.who.int/publications/i/item/9789241564687
※5:https://noharm-europe.org/content/global/health-care-climate-footprint-report
※6:https://healthcareclimateaction.org/roadmap
※8:https://www.med.or.jp/doctor/sonota/sonota_etc/010684.html