ネイチャーポジティブが気候変動対策に次ぐ世界のメガトレンドになるか?
~EUでは自然再生法(案)を政治的合意へ~
(文責:坂野 佑馬)
2023年11月9日、欧州議会と欧州理事会はEU域内の農地や海、森林、都市などの自然環境を再生させるための新規制案「自然再生法(Nature Restoration Law)」に関して、暫定合意に至ったと発表した※1。本合意は、2022年6月に欧州委員会(EC)が欧州グリーン・ディールおよびEU生物多様性戦略の重要な要素として提案し、欧州の生息地の80%以上が劣悪な状態にあるという知見に対応したものである。
同規則案においては、湿地、草原、森林、河川、湖沼などの陸上・沿岸・淡水の生態系と、海草、海綿、サンゴ礁などの海洋生態系を対象としている。EU加盟国は、2030年までに状態の悪い生態系を対象に少なくとも30%、2040年までに60%、2050年までに90%を回復させる措置を講じ、目標達成の方法を示す国家回復計画(National restoration plans)を定期的に提出することが義務づけられる。第一段階として、EU加盟国には同規則が施行されてから2年以内に、2032年6月までの期間における国家回復計画と、2032年6月以降の戦略的展望の双方を策定し提出することが求められる。
なお、此度の合意では、2030年までEU加盟国がこの規則で定められた生息地の回復措置は、「Natura 2000」※2に指定されている区域を優先する必要がある。「Natura 2000」とは、450種類の動物と500種の植物の生息地を保全することを目的に1992年に発効された生息地指令(Habitats Directive)によって確立されたEU域内の2,6000を超える区域、EU総面積の18%、海域の4%を占める保護地域のネットワークである。同規則案では、生態系の種類ごとに以下のような要件を定めている。
【農業生態系】
以下の3つの指標のうち少なくとも2つにおいて増加傾向を達成することを目指した措置を講じることを求める。
- 草原蝶指数(the grassland butterfly index)[i]
- 多様性の高い景観特性(緩衝帯、輪換休耕地、非輪換休耕地、生垣、樹木、並木、畑の縁、畑、溝、小川、小規模な湿地、段々畑、石塚、石垣、小規模な池、文化的特徴)を有する農地の割合
- 耕作地の鉱物性土壌中の有機炭素蓄積量
また、農地に生息する鳥類の指標に関する期限付きの目標も設定されている。
泥炭地の再湿潤化に関しては、農業利用されている排水泥炭地の30%を2030年までに、40%を2040年までに、50%を2050年までに回復させるという目標が設定されている。
【森林生態系】
森林生態系の生物多様性を強化するための措置を講じ、森林火災のリスクを考慮した上で、立ち枯れ材や横たわった枯れ木、森林鳥類指数など、特定の指標の増加傾向を達成することが求められる。
また、2030年までに少なくとも30億本の植林に貢献することをEU加盟国に求める条項も追加された。
【都市生態系と河川の連結性】
都市生態系に関しては、同規則の施行から2030年末までの間に、都市生態系が既に45%以上の緑地を有している場合を除き、都市緑地と都市樹冠被覆の純減がないことを保証すべきであるとした。
また、2030年までに少なくとも25,000kmの河川を自由な流れのある河川にするため、地表水域のつながりを阻害する人工的な障壁を特定し、除去し、自然の河川のつながりを維持する義務についても言及している。
弊社NEWS(2023年10月3日公開)※3では、英国における開発工事に際した自然環境改善の義務化政策「生物多様性ネットゲイン(BNG ;Biodiversity Net Gain)」※4に関して、簡単に紹介させていただいた。此度の新規則が施行され、EU加盟国が国家回復計画の策定を義務付けられるようになることで、英国の取組に類似した事業者へも生物多様性保全への貢献を強いる試みが、多数創案されるようになるであろう。
日本の取組に目を向けると、1997年に制定された「環境影響評価法」※5においては、大規模な開発(道路、河川工事、鉄道、埋め立て等)に関して、環境への影響を予測評価し、その結果に基づく事業の回避、修正などが行われることになっている。また、2008年に制定された「生物多様性基本法」※6においても、開発事業前の環境アセスメントを行うことが規定されている。2003年に施行された「自然再生推進法」※7においては、「自然再生協議会」を組織し、「自然再生事業実施計画」を策定して自然再生事業の活動を活発化させることを促している。令和4年度末までに、27の「自然再生協議会」が設立され、26の「自然再生全体構想」及び50の「自然再生事業実施計画」が作成されている(図1)。
図1. 自然再生協議会の設立状況
出所:環境省公表資料より引用
日本国内においても、2000年前後より生物多様性保全を重要視し、対策を講じてきたことが伺える。2023年3月31日には、「生物多様性国家戦略2023-2030」※8が閣議決定された。同戦略は、生物多様性条約第15回締約国会議(COP15)において採択された「昆明・モントリオール生物多様性枠組」を踏まえた新たな生物多様性の保全と持続可能な利用に関する基本的な計画である。2050年ビジョンとして「自然と共生する社会」を据え、2030年にはネイチャーポジティブ(生物多様性の損失を止め、回復軌道に乗せること)の達成を目標として詳細な数値目標も設定している。
図2.ネイチャーポジティブの概念図
出所:環境省HPより引用
気候変動対策と同様、今後の世界のメガトレンドの1つとしてネイチャーポジティブが重要視されるようになることは既定路線のように伺える。事業者に関しても、気候変動対策への取組だけでなく、生態系の保全や回復に貢献する取組が義務化されるようになるのではないだろうか。英国の「生物多様性ネットゲイン(BNG ;Biodiversity Net Gain)」に関しては、生物多様性をクレジットとして取引する展開も始まろうとしている。気候変動対策同様にネイチャーポジティブに関しても世界全体を取り巻く一大ビジネスに発展していくのかもしれない。国内事業者の皆様には、世界全体におけるネイチャーポジティブを目指す展開をベンチマークしておいてもらいたい。弊社としても継続的に情報提供をしていきたい。
引用
※2 https://www.eea.europa.eu/themes/biodiversity/natura-2000
※5 https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=409AC0000000081
※6 https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=420AC1000000058
※7 https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=414AC1000000148
※8 https://www.env.go.jp/press/press_01362.html
[i] チョウ類を指標種とした環境評価手法