(文責: 坂野 佑馬)

 温室効果ガス(GHG)の排出を経済的に抑制する手段として、炭素税や排出量取引制度(ETS:Emission Trading System)等のカーボンプライシング制度が各国で導入され、世界的に拡大している。一方で、価格設定や再分配メカニズムの設計、対象範囲の拡充においては依然として課題が多く、政策のあり方は各国で多様化している。
 World Bank Groupでは毎年、世界各国におけるカーボンプライシング制度の導入状況を整理した調査レポートを発表している。2025年度は6月10日付で『State and Trends of Carbon Pricing 2025』[i]を公表した。同時期には、フランス国立銀行(Caisse des Dépôts)とフランス開発庁(Agence Française de Développement)が共同設立したシンクタンク「I4CE(Institute for Climate Economics)」も、『Global Carbon Accounts 2025』[ii]を発表した。両レポートでは、世界のカーボンプライシング制度の導入状況を炭素価格の動向や収益の使途などのデータに基づき分析し、将来の展望についても触れている。本稿では、これら2つのレポートを参照しながら、世界のカーボンプライシングの現状と今後の展望について整理させていただく。ただし、両レポート内では各制度の概要説明にとどまるため、その部分については筆者が補足するかたちで説明する。

1. カーボンプライシングの拡大と現状

 2024年時点で、世界では80ものカーボンプライシング制度(43の炭素税と37のETS)が導入されており、世界のGHG排出量の約28%がこれら制度の対象となっている。これは、2005年時点の5%から大きな進展である。

図1. 世界で導入されているカーボンプライシング制度

出典:World Bank Grope「STATE AND TRENDS OF CARBON PRICING 2025」より引用

1.1 中国の全国排出権取引制度:National ETSの拡大

 中国は、2021年に電力セクターにNational ETSを導入して以降、段階的に対象範囲の拡大を進めている。2025年3月時点では、セメント、鉄鋼、アルミニウムなどの重工業分野への拡張が計画または試行段階にある。これが実現すれば、中国のNational ETS は世界全体のGHG排出量の約15%をカバーする見込みだ。
 現在は排出枠がすべて無償で配分されており、中国政府はこの制度から直接的な歳入を得ていない。ただし、今後有償割当(オークション方式)が導入されれば、多額のカーボン収入を得て脱炭素政策の財源とする可能性が高い。

図2. ETSの排出権無償割当と有償割当のイメージ図

出所: 環境省の公開資料より引用

1.2 価格差とその影響

 各国で導入されているカーボンプライシング制度の炭素価格には大きなばらつきがあり、その価格差は国際競争力や貿易構造に影響を与える可能性がある(図3を参照)。たとえば、EU-ETSの価格が2024年に1トンあたり約75〜95ドルで推移したのに対し、一部の新興国では炭素税の価格が10ドル未満と非常に低水準にとどまっている。これにより、炭素価格が低い国ではGHG排出削減のインセンティブが弱く、十分な削減効果を得ることが難しいとされている。
 一方で、炭素価格が高く設定されている国では、企業や消費者が低炭素技術や行動変容への投資に積極的になる傾向があり、排出削減目標の達成に寄与している。ノルウェーでは、炭素税(約200ドル/tCO₂に相当する水準)と電気自動車(EV)へのインセンティブを組み合わせることで、2024年には新車販売のうち88.9%がEVとなり、世界でも最も進んだ脱炭素輸送市場の一つとなっている[iii]

図3. 世界のカーボンプライシング制度における炭素価格(2025年4月1日時点)

出典: World Bank Grope「STATE AND TRENDS OF CARBON PRICING 2025」より引用

2. カーボンプライシングの収益と再分配

 カーボンプライシングは、GHG排出削減を促す経済的手段であると同時に、政府にとって重要な財源としても機能している。2023年度の実績(1,030 億米ドル超)よりは減少しているが、2024年における世界全体でのカーボンプライシング制度から得られた歳入は1,020億米ドル超であった。これらの収益の多くは、気候変動対策、社会的再分配、あるいは国家の財政補填として活用されている(図4を参照)。

図4. 2024年におけるカーボンプライシング制度の収益の使途(10億米ドル)

出典I4CE「Global Carbon Accounts 2025」より引用

 EUでは、EU-ETSによる収益をイノベーション基金やモダニゼーション基金(中東欧を中心とする10カ国のエネルギー・産業部門の脱炭素化を支援するための投資ファンド)[iv]を通じて、再エネ・蓄電・低炭素技術の普及に再投資しており、産業部門の脱炭素化支援にも活用されている。2023年には約500億ユーロ以上のEU-ETS収益が生じ、その半数以上が国内の気候対策に再投資された。
 ドイツでは、国家炭素価格制度(nEHS)およびEU-ETSの収益が、気候・変革基金(KTF)を通じて、再エネ、建築物改修、鉄道投資、そして低所得層や輸送業界への補償金の支給などに配分されている。たとえば、2024年にはKTFにより、エネルギー負担が大きい家計に対して暖房費補助金が支給された。
 カナダでは、連邦政府が導入した連邦カーボンプライシング制度(Fuel Charge)の歳入を用いて、各州の住民や企業に「Climate Action Incentive Payment(CAIP)」という形で直接還元している[v]。2024年時点で、連邦徴収分の約90%が住民・企業に再配分され、残りが脱炭素技術支援に用いられている。特に、農村部や寒冷地に住む住民、エネルギー集約型の中小企業には追加の補助措置が設けられ、炭素価格がもたらすコスト上昇の緩和に役立っている。

 カーボンプライシングによる収益は、特に新興国や開発途上国においては、排出量削減という環境目的だけでなく、新興国の経済的レジリエンス強化と社会インフラ拡充を同時に実現する「統合型財源」としての位置づけを強めている。
 例えば、メキシコでは、2014年に導入された炭素税「Impuesto al Carbono」[vi]により、年平均で約10億メキシコペソ(5,000万米ドル規模)の収益が得られている。この収益は一般財源に組み込まれたうえで、交通インフラの整備、低所得層向けエネルギー補助金、都市の持続可能な移動政策(自転車道整備や高速バス輸送)などに活用されている。気候変動対策と社会福祉政策を結びつける手段として、カーボンプライシングの財政的役割は年々重要性を増している。

3.カーボンプライシング制度の国際的な統一

 各国が導入するカーボンプライシング制度には、対象範囲、価格水準、収益の再分配手法に大きな違いがある。こうした制度間の価格差や設計の違いが国際的な競争条件に不均衡をもたらすことから、国境調整措置(Border Carbon Adjustment:BCA)の導入が進められている。
 EUのCBAMはBCAの代表例であり、鉄鋼、セメント、肥料、アルミニウム、電力、水素の6品目について、輸入品に含まれる「埋込排出量(embedded emissions)」に応じてCBAM証書の購入が義務付けられる仕組みが段階的に導入されている。これは、EU域内で課される排出規制と同等の負担を輸入品にも求めることで、域内産業の競争力を維持し、炭素リーケージを防ぐことを目的としている。
 しかし、2025年2月に欧州委員会が提案したオムニバス法案では、CBAM制度の簡素化と企業の実務負担軽減が主な目的とされている。特に中小規模の輸入業者を考慮した見直しが盛り込まれた。最大の変更点は、適用免除の基準が「1配送あたり150ユーロ未満」から「年間50トン未満の輸入」へと変更された点であり、これにより大多数の小規模輸入業者は制度の対象外となる。一方で、環境的効果は維持され、輸入品に含まれる排出量の約99%は引き続きCBAMの対象に含まれる見込みである。
 さらに、CBAM証書の購入義務開始時期は2026年から2027年に延期され、保有義務も当初の排出量の80%から50%へと緩和された。排出量の申告においては、デフォルト値を使用する場合に限り第三者検証が不要となるなど、実務上の柔軟性も高められている。正式な制度開始は2027年8月末に予定されており、初回の証書償却および申告期限も同年8月31日へと変更される見込みである。
 また、英国では2027年から独自のUK CBAMの導入が予定されている。米国、カナダ、日本などでも、「カーボン・クラブ(鉄鋼・セメント・化学分野の脱炭素化を加速することを目的とした多国間の政府間協力)」型の連携・協調政策が議論されている。特にG7やOECD加盟国の間では、共通の最低炭素価格設定や排出基準の相互承認を通じて、「炭素価格の引き下げ競争(race to the bottom)」を回避するための制度的枠組みの構築が検討されている。

 筆者は、TIME誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出されたこともあるビョルン・ロンボルグ博士の講演を拝聴したことがある。ロンボルグ博士は現在、コペンハーゲン・ビジネススクールに所属し、疾病や飢餓から気候変動、教育に至るまで、世界が直面する最大の課題に対する最も効果的な解決策の研究を専門とされている。その際の講演は「気候変動をスマートに解決するには」という題目で、さまざまな気候変動対策を費用対効果の観点から比較する内容であった。博士の主張によれば、「脱炭素技術の研究開発」および「世界規模で統一されたカーボンプライシング制度」は、非常に高い費用対効果が見込める施策であると強調されていた。

 現在、世界各地で多様なカーボンプライシング制度が導入されているが、ロンボルグ博士が指摘するように、今後はこれらを統一的な制度へと進化させていくことが重要になってくるだろう。EUのCBAMのように、制度設計や運用面での困難はあるにせよ、こうした取り組みは徐々に世界全体に広がっていくはずである。将来的には、世界中の企業がGHG排出量を円滑に取引できるような仕組みの構築が期待される。
 日本においては、現在「GX-ETS(2026年より本格始動)」や「東京都キャップ&トレード制度」、「埼玉県排出量取引制度」などが運用されているが、中小企業を中心とする多くの事業者では対応が遅れているのが実情である。こうした状況の中で、世界的なカーボンプライシング制度の統一が進んでいくことを見据え、制度の恩恵を享受するためにも、今から対応を真剣に検討することが肝要である。

引用

[i] https://www.worldbank.org/en/publication/state-and-trends-of-carbon-pricing

[ii] https://www.i4ce.org/en/publication/global-carbon-accounts-2025-climate/

[iii] https://www.gridserve.com/why-norway-leads-the-world-in-ev-adoption/

[iv] https://modernisationfund.eu/

[v] https://www.canada.ca/en/revenue-agency/services/child-family-benefits/canada-carbon-rebate.html

[vi] https://www.minambiente.gov.co/cambio-climatico-y-gestion-del-riesgo/impuesto-al-carbono/